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桐生西宮神社の由緒

 桐生西宮神社ができたのは明治34年(1901年)のことです。兵庫県西宮市の西宮神社本社が祀っているえびす様の霊を分けていただきました。西宮神宮本社から霊を分けていただいた神社、いわば本社直系の西宮神社は関東では桐生西宮神社だけです。これを「関東一社」といい、私たちの誇りです。
 では何故、桐生がえびす様の霊を分けていただけたのでしょう? それを知るには桐生の歴史をさかのぼらねばなりません。
 桐生は織物で栄えた町です。関ヶ原の戦いの際、急に必要になった徳川家康軍の軍旗を短時間で整え、織都桐生の名を一躍高めました。これを機に勢いを強めた桐生には全国各地から技術を持った人たちが寄ってきました。桐生は自分の力を十分に発揮でき、がんばれば成功が手にできる夢の土地だったのです。桐生が育んだそれまでの技術に、こうした人たちが持ってきた新技術が付け加わり、桐生はさらに発展しました。今の言葉で言えば、経済の好循環が成り立っていたのです。
 一方で困った問題も起きました。様々な土地で育った人たちは、生まれ育った土地固有の生活習慣、文化、ものの考え方などを持ち込みます。異文化が混ざり合う。いい面がある一方で、ややもすると町がバラバラになり、まとまらなくなるのです。
 そこで、当時の旦那衆は考えました。町を一つにまとめるため、福の神信仰、えびす様信仰を推し進めようではないか、と。これが図に当たりました。江戸時代末期には、桐生から西宮神社本社へはるばる旅をして参拝する人が増えます。西宮神社本社には、明治2年からあとの、桐生からの参拝者名簿が残っています。
 そんな折も折、明治31年(1988年)、町の中心部である本町三丁目で63戸を全焼する大火事がありました。損害額は膨大だったと思われます。でも、私たちのご先祖はこの災難にもめげませんでした。打ちひしがれるどころか、むしろ、「災いを転じて福となす」の気運が高まったのです。桐生で長く信仰を集めてきた西宮神社、えびす様を桐生にお迎えしようではないかとみんなが言い始めるのです。今こそ、福の神を桐生にお迎えする時だ、と。
 求めよ、さらば与えられん、という聖書の言葉は、世界中で通用する真実なのでしょう。熱心な桐生の願いに、西宮本社もこれを認めてくれました。「関東一社」ができたのです。
 えびす様の霊をお分けいただく費用は、当時のお金で30円、それを認めていただくお金が50円など、えびす様をお招きする総費用は479円かかりました。もちろん、それだけで桐生西宮神社ができるわけはなく、279円をかけてお移りいただくお祭りを催し、2269円をかけて社殿を造りました。こうした費用は誰にも頼らず、すべてを町の人たちの寄付金でまかないました。私たちの先祖の独立自尊の心意気は、いま桐生に生きる私たちが胸の奥底に刻まねばなりません。
 だからでしょうか、桐生西宮神社のえびす講は、私たちの暮らしになくてはならないものになっています。
 「足袋と炬燵の使用はえびす講から」
 は、私たちの暮らしそのものです。
 また、一昔前までは、えびす講の日は町中の機屋さんで夜なべ仕事はしなくていい日で、普段は粗食だった働いている人たちに、この日は豪華なえびす講料理が振る舞われ、小遣いも支給されました。
 私たちには桐生の歴史が刻み込まれています。桐生西宮神社、桐生えびす講も、今につながる桐生の歴史なのです。







■えびす様

 芥川賞作家の池澤夏樹さんが、日本最古の文学書「古事記」を現代語訳して出版しました。
 池澤さんは、古事記を書いた太安万侶に宛てた手紙の形をした序文で書いています。
「もうぼくたちはあなたが書かれた文章をそのままでは読めなくなってしまった。それでも読みたい。日本語による最初の文学を読み、あなたの時代の人たちが何を思い、どんな風に行動していたか、それを知りたい。そのためにはぼくたちの時代の言葉に訳さなくてはならない」
 私たちのえびす様は、その「古事記」に登場します。
 古事記によると、日本という国を創ったのは、イザナキとイザナミという男女の神様です。
 この世界ができた時、高天の原に3人の神様がいました。そのあと、次々に神様が生まれます。最後に生まれたのがこの2人で、神様たちは両人に、地上に降りて国を創れと命じます。2人は天と地をつなぐ天の浮橋から天の沼矛(ぬぼこ)を降ろし、どろどろの地上をかき回して引き上げます。矛の先から塩水がしたたり、それが固まって島になりました。2人はその島に降り、次々と子供を産みます。最初に生まれたのが「えびす様」でした。
 然れども久美度邇(くみどに)興して生める子は、水蛭子(ひるこ)。此の子は葦船に入れて流し去(う)てき。(「古事記」書き下し文より)
 この水蛭子がえびす様です。日本書紀は、「三年たっても足腰が立たない」手足が萎えた、骨なしの蛭のような形をした、生まれながらの障害児、と説明しています。2人は水蛭子を葦の舟に乗せて流してしまいました。神様も時にはひどいことをします。
 水蛭子が流れ着いたという伝説は日本各地にあります。西宮もその一つです。浜辺に流れ着いた葦の舟をのぞき込んだら手足がない赤子がいた。
 「おーい、生きてるぞー」。小さな葦の舟で大海をさまよったのです。ひどい嵐にもあったでしょう。でも、この子は乗り切って浜辺にたどり着いた。姿形に同情や違和感を覚えるよりも、不思議な生命力に神を感じたのに違いありません。抱き上げた蛭子を、心優しい西宮の人たちは「蛭子神」として大事に育て、いつか「夷三郎大明神」として崇めるようになりました。「夷」とは、遠いところから来て幸せをもたらす神様です。土地の人たちはやがて西宮夷神社をつくりました。西宮神社の始まりです。
 最初は豊漁や航海安全の守護神として信仰を集めたのですが、やがて収穫物を商う市場の神様となり、商業振興、福の神として親しまれるようになりました。
 えびす講は、その西宮神社のお祭りです。商売繁盛と流通の安全を願って室町時代に始まったといわれています。     
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■えびす講とは

 えびす様のお祭り。「えびす祭り」といわずに「えびす講」と呼ぶのは、えびす様を信じる人たちの集まり(これを「講」といいます)が、自分たちの1年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、あるいは商売繁盛を祈願する祭りとして始めたからだといわれています。それがいつの間にか、信者であってもなくても楽しめるお祭りになりました。
 全国的には神無月の10月に催すところが多いようです。旧暦10月は「神無月」といい、全国の神様が出雲に集合して自分の神社を留守にする期間なのでちょっと不思議ですが、えびす様は「留守神」だから出雲にはお行きにならない、とか、このお祭りの前後だけは出雲から戻って来られる(「えびすさまの中通い」という)と説明されています。
 桐生は11月に催しますが、何故かはよくわかりません。

■参拝の仕方

 参拝は身を清めることから始まります。といっても精進潔斎などなかなかできませんよね。そこで桐生西宮神社は「手水舎」を用意しています。手洗い場です。ここで手を洗い、汚れを落とします。
 まず右手にひしゃくを持ち、水をすくって左手にかけます。つぎに左手に持って右手を洗います。終わったらひしゃくを右手に持ち替え、すくった水を左手の手のひらで受けて口をすすぎます。これで汚れが落ちました。
 拝殿前に立ったらまず賽銭箱に賽銭を入れ、鈴を鳴らしましょう。「来ましたよ」と神様に知らせるのです。そして「二礼二拍一礼」をします。「礼」はお辞儀をすること、「拍」は柏手を打つことです。その際、右手の親指が、左手の親指の根本に来るよう、右手を少し手前にずらしてください。「拍」は、素手で何の下心もないことを神様にお知らせする、という意味があります。

■お札の祀り方

特に決まりはありません。えびす様を敬う気持ちさえあれば、どう祀ろうと自由です。ここでは、桐生の多くのご家庭に見られる祀り方をご紹介します。
部屋に恵比寿宮をいただく棚を作ります。この棚を縁起だなと呼びます。
今日お受けいただいたお札のうち、御神札(西宮大神宮=にしのみやおおかみのみや)は包んである薄紙を取り除き、真ん中、恵比寿宮に祀ります。
一緒に入っているお姿(御神影札)は棚に貼って下げます。向かって右がえびす様、左に大黒様、というのが桐生の習いです。全国的には逆の並びが多いのですが、桐生は大黒様をいただく三和神社が、西宮神社の向かって左にあるため、このように並べます。

神棚がないご家庭もあるでしょう。でも心配することはありません。えびす様、大黒様はもともとおおらかな神様です。どのように祀られようと、えびす顔でいてくださいます。あなたのセンスを十分に生かしましょう。額装して壁につるす、壁にピンナップする。玄関でも居間でも寝室でも、どこでもかまいません。あなたがえびす様と一番仲良くできる場所にお祀りください。

■縁起物  お宝、熊手

今日は「お宝」、「熊手」はお買い求めいただいたでしょうか? お買い求めいただいた時に、手締めはしてもらいましたか? 
お江戸では「三本締め」をします。しかし、桐生は「十(とう)締め」、あるいは「桐生締め」を伝統としてきました。 三・三・三・チョン、という締め方です。これは織物取引の商談から始まった桐生独特のものです。三を三回で「九」になり、最後にチョンを加えて「十」、つまり丸になります。取引を「丸く納める、収める」。これも桐生の先人たちの願いがこもっています。
この締め方、全国的には「一本締め」と呼ばれています。




以下行事案内・・・・

■福まき
大盛況!福まき

「ご利益だよ~」のかけ声とともに、神楽殿から「えびす福袋」をまく福まきは、桐生西宮えびす講百周年を記念して始めました。今年も神楽やえびす太鼓の時間にあわせて、神楽殿でやります。中身はえびす菓子、種銭や福クーポン券です。あなたも上手にキャッチして今年の福を手にしてください。

■今年もやってます、えびす招福くじ

 忘れずに持ってきましたか? 去年の「えびす招福くじ」。みごと一番福なら電動アシスト自転車、二番福なら三万円相当、三番福でも一万円相当の豪華な景品があなたに。ご心配なく。三番福までに入らなくても、全員に福鯛あめが当たります。当選番号の掲示板が参道大階段中程とお札場で待っています。今すぐ駆けつけよう!
 「えびす講招福くじ」は平成25年に始めました。もっと桐生えびす講を楽しんでもらおうと世話人の一人が思いつきました。お札を受けてくださった方に、市内の有名店で使えるクーポン券と一緒にくじをお渡ししています。また、「福まき」の福袋にも入っています。10001から始まる番号が印刷してあります。このくじを一年間大切に保管していただき、翌年のえびす講で当選番号を発表します。
 お札は、えびす様、大黒様が描かれた「おみえ札」、西宮神社と書かれた「木札」のセットです。次のえびす講までの一年間、神棚に納めて大切にしていただいているはず。そのお札と一緒に、くじも神棚に納めていだこう。翌年、お札は「お焚き上げ」にお持ちいただきますので、くじもお札と一緒にえびす講に持ってきて楽しんでいただこう。それが私たちの願いです。
 よそのえびす講では、こんなくじをやっているという話は聞きません。だから「えびす講招福くじ」は桐生だけのお楽しみ! でも、まだあまり知られていないようで、平成26年の一回目の当選発表にくじを持ってきた方は二割ほどしかなく、二回目の昨年は増えたとはいえ、三割程度にとどまりました。なんと、くじの七割あ行方知らず。
 「もったいない」は日本の美しい言葉、日本が世界に誇る暮らし方です。それなのに、七割もの人がくじを忘れてくる! 残念です。だって、その七割に、一番福、二番福、三番福が入っているかもしれないのですよ。もったいない! 今年はきっと、行方不明は二割程度に減っていると期待しているのですが……。
 えっ、忘れてきた? お願いです。これからくじを取りに帰っていただけませんか?
 賞品の受け取りはえびす講開催中、つまり19日朝から20日午後10時までです。お忘れなく。

■「福鯛飴」

 西宮神社総本社では、吉事があると二尾の鯛を結んで神前に奉献します。この鯛を「御掛鯛」といいます。これにならい、桐生西宮神社も大祭を催す際には二尾の鯛を神前に奉献します。この吉を皆様にお分けしようというのが福鯛飴です。
 作り方は、切っても切っても同じ顔が出てくる金太郎飴と同じです。水飴と砂糖を釜で煮詰めたあと、冷却板に移して六〇℃ほどに冷まします。その後、赤、黄色、黒など必要な色を加えて必要な四色の飴を作り、これを職人技で切ったり重ねたりして、丸めた時に切り口に「福鯛」が現れるようにします。あとは細く延ばして切り分けます。全て手作業ですので、少しずつ違った「福鯛」が皆様の手元に届きます。
 縁起のいい福鯛飴を味わって、福を授かってください。

■えびす菓子

 桐生西宮神社のえびす講でしか手に入らないものといえば、境内広場で売っているえびす菓子。すっかり恒例になって、年に一回の味を楽しみにしている参拝客も増えました。でも、なんであんなに美味しいんだろ? そこで、メーカーさんを訪ねてみました。

◎「招福銘菓 えびすどら焼」
 本町六丁目の老舗和菓子店「舟定」さんが製造・販売しています。
 会長の東山豊さん(68)によると、味の決め手は、中に挟み込んでいる求肥(ぎゅうひ)。餅米からつくる羽二重粉(はぶたえこ)と砂糖をよく練ってつくった羽二重餅(はぶたえもち)を、専門家はこう呼びます。羽二重というのは「絹」のようにきめの細かい粉で、それに、できあがるのはお餅=福餅ですから、絹織物で一世を風靡した桐生にちなんだおめでたい食べ物でもあるのです。舟定さんはそこに栗の実を刻んで混ぜ込み、秋の味覚も楽しめる仕掛けをしています。
 おっと、それだけではまだ完成ではありません。えびす講前の一週間ほどかけて作ったどら焼きには、○の中に「福」と書いた焼き印を一個ずつ押し、きちんとラッピング。さらに一箱に5個ずつ入れて準備完了、お客様を待つだけとなります。
 そうですね、普通のどら焼きより一回り小さくできあがっていますね。これは、あの箱に5個入れるために、あえて小ぶりにしてあるのです。「普通の大きさだと、四個しか入らない。やっぱり『四』は避けたかったので」と東山さん。縁起物ならではの気配りなのです。
 『えびすどら焼」は人気が高く、毎年完売の売れ行きです。「もっとたくさん作らないのですか?」と聞いたら、「いや、実は別のお菓子も作って売ろうかと考えている」とのお話でした。来年は、もう一つ違った味も楽しめるかもしれません。

◎「ゑびすお宝餅」
 ご存じ、「青柳」さんのえびす講限定商品です。期間中は店舗でも買えますので、自宅に戻って食べた後、「もう少したくさん買えばよかった」と思われた方はそちらもご利用ください。
 原料は、黄金色をした餅きび。これを小判型に仕上げ、えびす講につきものの「お宝」に飾る小判をイメージしました。最近は「お宝」より「熊手」の方が人気があるようですが、宮路さんによると、桐生の伝統は「お宝」。「『熊手』は一気にガサッと持っていくイメージですが、「お宝」はコツコツ働いてお金を少しずつ貯めるという意味がある。桐生は『お宝』の働き方をしてきた町です。その伝統をまもり、復活させたい」のだそうです。味噌案と漉し餡の二つの味が楽しめます。
 実は、境内広場で売り出す五,六年間から青柳さんはこの菓子を売っていました。でも、会長の宮地由高さん(68)の話だと、売れ行きは今ひとつ。それではと、本町三丁目に露天を出してみたけど、それでもパットしませんでした。それが、境内広場で売り始めると完売。それからというもの、毎年右肩上がりの売れ行きで完売を続け、今年は昨年の2割増しを用意したそうです。そう、えびす様の御利益を地で行くようなお菓子でもあります。
 一個一個に「寶」の焼き印が押され、包み紙にはえびす様のお姿と、「祈願 家内安全 商売繁盛」の文字があるのも、えびす講ならではです。 ----写真---

■えびす講とは

 えびす様のお祭り。「えびす祭り」といわずに「えびす講」と呼ぶのは、えびす様を信じる人たちの集まり(これを「講」といいます)が、自分たちの1年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、あるいは商売繁盛を祈願する祭りとして始めたからだといわれています。それがいつの間にか、信者であってもなくても楽しめるお祭りになりました。
 全国的には神無月の10月に催すところが多いようです。旧暦10月は「神無月」といい、全国の神様が出雲に集合して自分の神社を留守にする期間なのでちょっと不思議ですが、えびす様は「留守神」だから出雲にはお行きにならない、とか、このお祭りの前後だけは出雲から戻って来られる(「えびすさまの中通い」という)と説明されています。
 桐生は11月に催しますが、何故かはよくわかりません。

■参拝の仕方

 参拝は身を清めることから始まります。といっても精進潔斎などなかなかできませんよね。そこで桐生西宮神社は「手水舎」を用意しています。手洗い場です。ここで手を洗い、汚れを落とします。
 まず右手にひしゃくを持ち、水をすくって左手にかけます。つぎに左手に持って右手を洗います。終わったらひしゃくを右手に持ち替え、すくった水を左手の手のひらで受けて口をすすぎます。これで汚れが落ちました。
 拝殿前に立ったらまず賽銭箱に賽銭を入れ、鈴を鳴らしましょう。「来ましたよ」と神様に知らせるのです。そして「二礼二拍一礼」をします。「礼」はお辞儀をすること、「拍」は柏手を打つことです。その際、右手の親指が、左手の親指の根本に来るよう、右手を少し手前にずらしてください。「拍」は、素手で何の下心もないことを神様にお知らせする、という意味があります。


◎本社の行事

■御神影札頒布始祭

 これから一年、全国で開かれるえびす講の始まりを告げる御神影札(おみえふだ)頒布始祭が十月十四日、兵庫県西宮市の西宮神社で開かれました。この祭典に、全国の講社(蛭子えびす様をお祀りしている神社)を代表して桐生西宮神社の岡部信一郎総務が参加、吉井良昭西宮神社宮司からお札をお受けしました。これで、全国の秋のえびす講、新年の十日ゑびすなどで新しい御神影札を参拝者に頒布する準備が整いました。
 御神影札は毎年新しいものに取り替えるのが習いの、いわば有効期限一年のお札です。そのため、「これから一年使うお札」を毎年この時期に西宮本社が発行し、全国の講社がそれをお受けして頒布を始めます。全国に約三千五百あるすべての講社が参加するのは不可能なので、毎年代表だけが本社に行き、代表して新しいお札を受けます。桐生西宮神社は五年連続で代表になっています。桐生西宮神社が本社から高く評価されていることが伺えます。
 名誉ある代表の務めを終えた岡部総務は「「桐生西宮神社は明治三十四年に関東で唯一西宮神社本社の御分霊をいただきました。そのおかげで、五年も続けて全国の講社を代表し、一番にお札を戴く栄に浴することができました。桐生の先人のおかげです」と話しています。


■白瀧神楽
川内町で白瀧神社の太々神楽を守っている保存会の皆さんによる神楽です。桐生市の無形文化財に指定されており、歴史と伝統を白瀧神楽連の皆さんが連綿として継承しています。えびす講に因んだえびす舞をはじめいくつかの演目を、毎年11月19日の午後から奉納しています。

■えびす太鼓
100回目のえびす講を記念して、太鼓奏者 石坂亥士さんによる オリジナリティー溢れた和太鼓演奏です。毎年 11月20日に行っています。神楽殿から宙に舞ったり、あっと驚く演奏です。


■白瀧姫の舞

 情熱の国スペインで生まれたフラメンコと、日本の神様に奉納するために伝えられてきた太々神楽が桐生の地で解け合って三年前に生まれた「白瀧姫の舞」は、全国紙に取り上げられるなど、大きな話題になりました。その舞い踊る白瀧姫が、今年もえびす講に登場します。
 白瀧姫に扮するのは、市内でフラメンコスタジオを主宰する野村裕子さん。川内町で白瀧神社の太々神楽を守っている保存会の皆さんがリズムを紡ぎ出す。
 でも、フラメンコはリズムが複雑で、観客には手拍子を取らないで欲しいという難しい踊り。太々神楽の和のリズムとあわせるのは難しかったのでは? と野村さんに聞きました。
 「はい、演奏と呼吸が合わないとフラメンコは踊りにくいのですが、この白瀧姫の舞は三年前に保存会の皆さんと初めてあわせた時から、何故かスーッと入っていけました。踊っていると自分が透明になる感じで、踊るのが楽しいのです」
 そのためか、この舞は野村さんのレパートリーとしてすっかり定着。えびす講だけでなく、発表会でもすでに二回披露した。
 しかし、えびす講での踊りは、いわば神様に奉納。気をつけていることはありますか?
 「神楽では舞台の四方で結界を切ります。これは踊りに取り入れました。それに、単なるショーならもっとやりたいこともあるのですが、えびす講の舞台はいわば神域ですので、それを見失わないようにしています」
 野村さんによると、フラメンコはインプロヴァイゼーション(アドリブ)の連続で、よく見ると踊りが毎回変わっているとのこと。さて、今年はどんな踊りになるのか。
 十九日午後7時から華やかな舞が始まる。

■からくり人形芝居

今年は「お猿のかごや」が登場

 からくり人形が本当に布を織る! これまでどこにもなかったからくり人形「白瀧姫物語」を三年前の桐生えびす講で公開した佐藤貞巳さん。最初の年は全国紙で大きく報じられ、わざわざ沖縄から見に来た人もいました。桐生が誇るからくり人形師です。その佐藤さんが、今年は新作「お猿のかごや」を披露します。
 お話を伺った時は、最後の仕上げ中でした。でも、なぜ「お猿のかごや」?
 「今年は申(さる)年です。猿は皆さんに親しまれる生き物でもあるので、これを使おうと考えていて思いつきました」
 でも、「お猿のかごや」に乗っているのはこん狐。えびす講はおいなりさんの祭りではないのですが。
 「はい、だからかごに乗るのはえびす様にしました。えびす様がかごに乗って、西宮神社本社から、遠い桐生西宮神社まで来てくださる、というわけです。背景で流す『お猿のかごや』の歌も、歌詞の『お客はおしゃれのこん狐』を『お客はおしゃれなえびす様』に変えて、地元の声楽家、深津素子さんに吹き込んでもらいました」
 この「お猿のかごや」、かごを担ぐ二匹の猿の両足、左手、肩、腰、首、全身がモーター仕掛けで複雑に動く。猿、かごの全体もふわふわ動き、いかにもかごが進んでいるよう。
 でも、えびす様は鯛を抱き、釣り竿を担いでかごの中に座っているだけ?
 「いえいえ、えびす様にもちゃんと一働きしていただきます。是非見に来てください」
 十九日、二十日の両日、「お客さんが集まれば」いつでも随時公演する。第一部が「お猿のかごや」で、第二部ではあの「白瀧姫物語」も。こちらはさらに改良されており、織りあがる布の決めが細かく、美しくなっています!

■白瀧姫の舞

 情熱の国スペインで生まれたフラメンコと、日本の神様に奉納するために伝えられてきた太々神楽が桐生の地で解け合って三年前に生まれた「白瀧姫の舞」は、全国紙に取り上げられるなど、大きな話題になりました。その舞い踊る白瀧姫が、今年もえびす講に登場します。
 白瀧姫に扮するのは、市内でフラメンコスタジオを主宰する野村裕子さん。川内町で白瀧神社の太々神楽を守っている保存会の皆さんがリズムを紡ぎ出す。
 でも、フラメンコはリズムが複雑で、観客には手拍子を取らないで欲しいという難しい踊り。太々神楽の和のリズムとあわせるのは難しかったのでは? と野村さんに聞きました。
 「はい、演奏と呼吸が合わないとフラメンコは踊りにくいのですが、この白瀧姫の舞は三年前に保存会の皆さんと初めてあわせた時から、何故かスーッと入っていけました。踊っていると自分が透明になる感じで、踊るのが楽しいのです」
 そのためか、この舞は野村さんのレパートリーとしてすっかり定着。えびす講だけでなく、発表会でもすでに二回披露した。
 しかし、えびす講での踊りは、いわば神様に奉納。気をつけていることはありますか?
 「神楽では舞台の四方で結界を切ります。これは踊りに取り入れました。それに、単なるショーならもっとやりたいこともあるのですが、えびす講の舞台はいわば神域ですので、それを見失わないようにしています」
 野村さんによると、フラメンコはインプロヴァイゼーション(アドリブ)の連続で、よく見ると踊りが毎回変わっているとのこと。さて、今年はどんな踊りになるのか。
 十九日午後六時から華やかな舞が始まる。

今年は「お猿のかごや」が登場

 からくり人形が本当に布を織る! これまでどこにもなかったからくり人形「白瀧姫物語」を三年前の桐生えびす講で公開した佐藤貞巳さん。最初の年は全国紙で大きく報じられ、わざわざ沖縄から見に来た人もいました。桐生が誇るからくり人形師です。その佐藤さんが、今年は新作「お猿のかごや」を披露します。
 お話を伺った時は、最後の仕上げ中でした。でも、なぜ「お猿のかごや」?
 「今年は申(さる)年です。猿は皆さんに親しまれる生き物でもあるので、これを使おうと考えていて思いつきました」
 でも、「お猿のかごや」に乗っているのはこん狐。えびす講はおいなりさんの祭りではないのですが。
 「はい、だからかごに乗るのはえびす様にしました。えびす様がかごに乗って、西宮神社本社から、遠い桐生西宮神社まで来てくださる、というわけです。背景で流す『お猿のかごや』の歌も、歌詞の『お客はおしゃれのこん狐』を『お客はおしゃれなえびす様』に変えて、地元の声楽家、深津素子さんに吹き込んでもらいました」
 この「お猿のかごや」、かごを担ぐ二匹の猿の両足、左手、肩、腰、首、全身がモーター仕掛けで複雑に動く。猿、かごの全体もふわふわ動き、いかにもかごが進んでいるよう。
 でも、えびす様は鯛を抱き、釣り竿を担いでかごの中に座っているだけ?
 「いえいえ、えびす様にもちゃんと一働きしていただきます。是非見に来てください」
 十九日、二十日の両日、「お客さんが集まれば」いつでも随時公演する。第一部が「お猿のかごや」で、第二部ではあの「白瀧姫物語」も。こちらはさらに改良されており、織りあがる布の決めが細かく、美しくなっています!