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本社と等しいご加護を

本社 西宮神社

本社 西宮神社

えびす信仰

えびす様は、葦舟で大海原を漂う艱難辛苦の果て、西宮の浦に無事漂着しました。苦労を乗り越えた努力と精神力で、福の神の神格を得たその経緯こそ、世の好不況の荒波を乗り越え、苦労が報われる本質が、ものづくりの基本的精神として親しく受け入れられ、桐生地域でも、家々・諸業の「えびす信仰」が自然に定着しました。

織物生産を基盤に、産業経済が古くから発達した桐生では、各地から移入する従事者を優待して、出身地ごとの固有な文化・習俗が色濃く混在し、進取で自由闊達な気風が確立しました。そのため、産地圏に集積する関連諸職の旦那衆(経営者)は、共通な価値観を醸成する秘策として、 福の神信仰を積極的に奨励しました。

「足袋と炬燵の使用はえびす講から」
  冬物のお仕着せはえびす講の宴席。などは今に伝わる特徴的な民俗です。
  えびす講直前の絹市は、夷講前市と称されるほどの賑わいから、町中警護と火の用心の必要を陣屋役人に要請しました。 (明和三年・1766)

 上州三富豪の筆頭・佐羽家の家定家訓(現在の就業規則に相当)は、「家業繁栄と開運のため、西宮大神宮を信仰しなさい。」と定めております。(文政八年:1825年)
  えびす講の日は夜なべ仕事が免除され、早仕舞いや、えびす講料理、また、小遣いも支給する饗応で現実的な御神恩による生産性を向上させました。

家業生業に直結した福の神信仰も、江戸末期には摂津(兵庫県)西宮参りに発展し、社務所には明治二年からの代参講名簿が存在します。
  織物で日本の近代化推進の一翼を担い、生産性と品質向上策からも、えびす信仰がますます重んじられ、象徴の必要気運が高まる明治三十一年、本町三丁目一帯で六十三戸を焼失する災禍にみまわれました。
「禍いを転じて福となす」と復興再建の気概も加勢とし、全国三千五百余社の総本宮「西宮神社」に、御分霊勧請を懇請しました。

明治三十四年(1901)十一月、ここに、先人悲願の奉遷が成就され、加えて「関東一社」の称号拝受の偉業で、関東における「唯一の直系分社」の格式を賜りました。

  誰もが迎えたい福の神=えびす様・だいこく様を始めとして、民生の安定発展や、天下国家の安寧に、広大無辺な御神徳の天照大神。日々安らかな暮らし・安心安全に絶大な神威の須佐之男大神さまが、御祭神として御鎮座なされております。本社と等しい御加護と福をお授かり下さい。
  関東一社の冠を戴く当社は、御参拝者にあまねく御神徳が授かることを一義に、桐生流祭礼様式で、関東一の神賑わいを年ごとに構築して、えびす講祭礼を斎行してます。
                         
  秋季大祭ゑびす講祭礼では、献幣使列座の神事とともに、本社謹製の「御神札」「御神影札=お姿」の奉送直授で、確かな御神徳を頒布してます。
献幣使とは、西宮本社から差し遣わされた代表の神職で、桐生西宮神社の「神」に対する本社の最も重い「札」をあらわしています。